2010年11月28日日曜日

すぐにごめんって言っちゃいがち。

突然ですが、
よく私はくしゃみをします。

すると配属先の同僚であるレベッカさんに

「ソーリー」

と言われます。

いやいやこちらがソーリーなのに…と毎回思います。


日焼け止めを彼女の前で塗っていたら、
「何でそれ塗ってるの?」と聞かれ
「太陽から肌を守るため」と答えたら、

「ソーリー、ソーリー」

と言われました。

つまりこれは、
「ザンビアの太陽があなたには刺激的すぎてごめんなさい。」
ってことなんでしょうか。


またあるとき、歩いていて私がつまずくと、
近くにいたザンビア人は言います。

「オー、ソーリー」

何だい。
私の行く手に釣り糸でも仕掛けていたっていうんかい。



同期隊員に聞いたところ、「お気の毒さま」的な意味合いで使ってるらしいのですが。

ソーリーは日本のごめんとは違って、あまり多用しないものだと思っていました。

言葉って難しい。

2010年11月26日金曜日

雨やどり。

大きななんかの木の下でー、

ゆーかーちんとわーたーし、

なーかよーくあまやどり、

大きななんかの木の下でー。




早くやまんかな…。

衝撃!少女が手に掴んだものは…!

先日、キャタピラのシーズンとお伝えしましたが、
続報です。

こっちの人はキャタピラをそのまま食べるのではなく、
中身を抜いて、乾燥させてから調理するのです。

私は今まで、生きてるやつと乾燥したやつは見たことあったのですが
その途中の、「中身抜かれてるけど乾燥してないやつ」は見たことありませんでした。

しかし、ついに発見しました!!


これです↓



少女がおもむろにキャタピラをつかみ、
中身を抜いてます。


えー、現場での取材の結果、
キャタピラの中身は緑色ということが判明しました。


以上、報告を終わります。

2010年11月20日土曜日

シーズン到来。



先々週、村で聞き込みを行ってると、
「キャタピラは食べたことあるのか?」
と聞かれました。

「あるよ、2回!」
と答えると、ついて来いと言われてついて行った先には…

ででん。
村人S氏 「ほーらーぁ、キャタピラだよん」


うーわー。

生キャタピラ。っつーか毛虫。

これ…食べるんかいな…


見た途端、「うぅぅ…わぁぁぁぁ…」と声にならない声が出て、
日本語伝わらないことをいいことに、「きもい」を連発していました。

色んな種類がいるそうで、こやつらは黄色系キャタピラ。


これを見て以来、キャタピラがそこら辺の木にいるんじゃないかと
おびえながら村の中を歩いています。

この時期は、キャタピラ採集のシーズン。
北部州は特産地だとか・・・。

ある村人はうれしそうに、キャタピラを採集していました。
それをペットボトル(注ぎ口は切断済み)の中に入れていたのですが、
多分50匹くらいいたんでしょうか。。。
下の方にいるやつは、仲間の吐いた液体の中で溺死してました。
いや、窒息死か。

あー。気持ち悪い話をしてしまいました。



こっちの人でも嫌いな人は嫌いです。
でも大好きな人が多いことも事実。
特に虫を食べる文化があるのはザンビアの中でもベンバ特有のものだとか。
カサマはもちろんベンバ所属です。

ベンバ系ザンビア人の大事なタンパク源。

ソヤミートは私の大事なタンパク源。

何かはまってます。
大豆で作られたお肉風なもの。
みそ汁に入れると、油揚げのような食感になります。

そのうち、ソヤミート特集でも組もうかな。

村人シリーズ ~双子ちゃん~

チリヤエーカ村で見つけた双子ちゃん。


シャイな2人です。

美人ちゃんです。


勝手に始めてみました、村人シリーズ。
続くか続かないかは・・・・・・私の気分次第。

2010年11月16日火曜日

北部州旅行 ~タンガニーカ湖編~

何とかたどり着いた埃まみれ一行。

タンガニーカ湖のほとりにあるというそのロッジを目指し、
早くきれいになりたいという思いで死に物狂いで歩いていると、

道端にすわっていたおばちゃんが、
「too dusty!!!」
と言ってきました。

知ってるよ。
これでも今からリゾート行くんだよ。


そのロッジまでは船で30分。とてもいい時間でした。
途中で漁をしている人たちがいて、
今にも沈みそうな木の船がぷかぷか浮いているのです。
次回訪問の際は、同乗させてもらおうと本気で目論んでいる私です。


着いた先はこんな感じ。
目の前に湖が広がってます。


ステキですねぇ。

湖では、泳ぐ、棒倒し、貝殻集め、とお決まりのことをやりつくし、
満足しました。
内陸のザンビアでこんなことができるとは!感激の一言です。

しかも、このタンガニーカ湖のあるムプルング、
カサマからはバスで4時間弱。

週末ふらっと出かけられる距離。

どうやら私、ザンビアで生きていけそうです。



ここには、湖だけではなく有名な滝があります。
カランボフォールズという落差がアフリカ2位の滝だとか。(確かそんな感じ)
この滝を見るために、往復4時間弱ぐらい歩きました。
近くで見ることもできて、涼を感じてきました。

もうひとつ。
ムプルングの隣郡、ムバラというところに、
MOTOMOTOミュージアムというザンビアの歴史を知れる博物館があります。
そこにも足を運びました。
ザンビア(特にベンバ)の文化だけでなく、奴隷貿易の歴史とか、気になる情報があって楽しかったです。


そんなこんなで、
ムプルング:タンガニーカ湖を満喫した私は、
色々あったけど楽しかったなぁ~とこの旅を締めくくるのでした。


最後尻すぼみなのは、
決して書くのが面倒になったからではございません・・・。


終了。



2010年11月14日日曜日

北部州旅行 ~いざ行かん!ムプルング編~


ナコンデには私の元カウンターパート、ヤマンダさんがいます。

彼は自分の名前を「タマンダ」とパソコンで打ち間違えるほど、
ちょっとトボケタ人なんですが、
農業省ではできる人と認められているため、
本省から遠く離れたナコンデ事務所のトップに昇進したのです。

私が任地に来て2週間目の出来事でした。

ま、それは置いといて。

せっかくナコンデに来たので、
彼に相談したら、いろんな手配をしてくれました。

ありがとう、ヤマンダさん。
ついでにカサマに戻ってきてくれてもいいんだよ。


そんなこんなで、
ムプルングを目指すことに。

これが、まー大変。
まさにアフリカ。

旅の過酷さを私のほこりまみれになっていく姿とともにお届けいたします。

さぁ出発。
前日までの疲労はうかがえるものの、まだまだ元気なようです。

途中地点。

おやおや、目がすわっていますね。
あれ?老けましたか?


到着。

体が傾いています。
埃まみれですね。御苦労さま。


激闘を終えた後姿。

汚い。。。


のび太だったら、こんな姿で家に帰ったら
「どこで何してきたのー!!!!」
と怒鳴りつけられるでしょう。

ただ、バスに4時間乗って目的地を目指しただけ。


このTシャツを白くするために5回手洗いしました。


 
こんな汚い輩が目指す、ザンビアのリゾートとは…!

つづく。

北部州旅行 ~そう僕らはずっと待ってる編~


ここまで何となく順調だった旅。

しかし待っても待っても列車が来ない。
予定では16時半。
まーこれは絶対ない。
掲示板には18時半。
これもあり得ない。

12時間待ったとか14時間待ったとか、そんな話をよく聞くので
一応それぐらいの心構えはしておきました。

しかし12時間(早朝6時)待っても来ず、
24時間待っても来ず。

タンザン鉄道の洗礼を受ける私たち。

そこをUNO1本で切り抜ける私たち。

ひたすらUNOをやりつづけました。
何せ集中力のない私ですから、途中で負け始めたら結構負けました。。。
残念。

いやいや、そんなとこで残念がってる暇はないです。

予定では
一旦、カサマに戻って快適ルートで次の目的地「ムプルング」へ。
しかし、もう戻ってる時間もなくなったので、
ナコンデから直接ムプルングへ。

カサマに帰る気満々だった私は、お金とか全てをカサマにおいてきていたため、
ぎりぎりまで待ちたいとみんなに懇願し、
ま、結局は列車は来なかったんですが。
諦めるが肝心であると勉強になりました。
(その節は、ありがとうございました)


なんだ直接行けるならいいじゃんと思うでしょうが、
そこはアフリカ。
交通手段と道が最悪なのです。


とりあえず、その日は宿に泊り、
次の日直接ムプルングを目指すことになったのです。


この旅で最も過酷な試練の幕開けです。

つづく。

2010年11月12日金曜日

北部州旅行 ~ナコンデ紹介編~

ちゃららら~♪
今日ご紹介するのは「タンザン鉄道(TAZARA)」です。
3度目の正直!
ついにTAZARAに乗ることに成功した、私。

やほー!



乗車時間は7時間ほど。

待ちに待ったナコンデに到着。
ナコンデはタンザニアのトゥンドゥマに接する国境の町。
多くの品がナコンデには溢れ、タンザニアのものも手に入るのです。

アフリカに来るまで知らなかったのですが、
タンザニアはアフリカの勝ち組。
音楽だったり芸術だったりにしてもザンビアとは比べようがないほど豊富らしいです。
海もあるし。その時点で素晴らしい。


そんなタンザニアをザンビアで感じられるステキな場所。
それがナコンデです。

なんなら、タンザニアに入れちゃいますからね。
そう、入れるんです。勝手に。


今、考えると当然といえば当然ですが、
どーしても正直者な私たちですから、
真正面からタンザニアに乗り込んでしまったんですね。


はい。注意受けました。
怒られました。


「タンザニアに入れる」という情報しかもってなかったもので、
じゃ、どこから入れるのさ!と憤慨してた私たちを横目に、
本当に左に広がっていたタンザニアへつながる道。

どこからがタンザニアでどこまでがザンビアなのかわからないような空間が広がってました。

ごみごみしたマーケット。

色んなものが売っていました。

カメラの充電が切れかけていたので、写真が残ってないですね。
またの機会に写真で紹介します。

でも英語もベンバ語も通じなくて、スワヒリ語で話しかけられるのは新たな感覚でした。
よく「カリブー」と言われたのですが、
スワヒリ語学科だった同僚Yちんによると、「ようこそ」とか「おいで」とかそれだけでなく色んな意味があるのだとか。
実はこのカリブー、ベンバ語でも使われています、同じ意味で。

ま、そんな感じでナコンデを満喫し、(どんな感じだ)、
駅へ戻って電車を待つことに。

ナコンデは私たちをゲーム大会へと導くのでした。

つづく。


2010年11月8日月曜日

北部州旅行 ~出発前編~

今回訪れるのは我がホーム北部州のナコンデ、ムプルング。
ナコンデはタンザニアとの国境の町。
ムプルングはタンガニーカ湖という湖がある町。

興味あれば地図で見てみてください。

「またふみこさんバスで移動大変ね。」と思ってるそこのあなた。
違いますょ。
今回の旅の裏目的は「列車に乗ろう!」ですから!


ザンビアにも列車が走っています。
中国が作ったタンザン鉄道(現地呼名:TAZARA)という列車です。

ザンビアのカピリムポシという駅から終点タンザニアのダルエスサラームまで
週2本走っています。

この列車、カサマにもとまります。
ザンビアの最終駅はナコンデ。

そうです。
この列車に乗ってナコンデまで行っちゃおうというプランです。
(しかし結局、他の移動はバス。)


カサマ組は夜中3時半に合流。
(カサマには2人がいます。)
せっかく北部まで来てくれるんだから何かしよう!と1カ月前から考えだし、
バスの中で考え付いたのが、
「おにぎりを作る」でした。

仕事後、2人で21時ぐらいからせっせと握る。
出し巻き卵をつくる。
ウインナーをタコにしてみたりする。

「これ絶対喜んでくれるよね♪」
と自己満足しだすテンションの高い2人なのでした。

そのテンションのまま0時に誕生日を迎えた列車の中の同期に電話をしたところ、
まさか寝ていたところを起こしてしまうという最悪の展開に。
本当にごめんなさいでした。(体調悪かったのに)

そんなこんなで0時半くらいに家を出発し、駅で列車を待つことに。


チテンゲ(布)と寝袋を広げ、寝転がり、
列車を待つこと3時間。

ポーーーーーーーーー!という音とともに、列車が到着!


さぁ、旅のはじまり。


そのときの私はこれから起こるハプニングなぞ考えもしていなかったのだった・・・。


つづく。

2010年11月6日土曜日

北部州旅行 ~ちょっとお知らせ編~

10月20日から25日まで、合間の3連休を利用して
初めて旅行らしい旅行をしてきましたー!
同期のみんな(-1)で行ってきました。


旅行。

旅行・・・


さかのぼること今年の4月。
先輩隊員訪問。
訪問前日に先輩隊員の活動対象であった協同組合が解散。
カウンターパートはマラリアに。
帰りにはバスが調子を悪くし足止めをくらったのは私です。

同じく4月。
任地訪問。
行きのバスが途中で壊れ、カサマまで16時間かかっても着かなかった上、
お腹の調子が悪くなり、せっかく迎えに来て下さった先輩にろくに挨拶もせず
ロッジの部屋に駆け込んだのは私です。

8月。初めて首都以外の町に出かけた帰り道。
警察に逮捕されかけたのは、私です。

同じく8月。
タンザニアとの国境の町ナコンデに出かけようとして、
駅で列車を待ってたものの、
夜が明けても列車が来ず、
2週間連続で駅で寝ただけで家に帰ってきたのは、私です。


赴任して7カ月。
ほぼ任地に閉じこもり、
ちょっと出かけようと思うとそんなことが起きる私を見て、
任地カサマの先輩であり姉であり、8月事件のいずれにも巻き込まれたきょんちゃんは
「旅のトラブルメーカー」
というレッテルを私に張りました。


ごめんなさい…。



そして今回の旅行を迎える訳ですが。

日本でいとこのお兄ちゃん夫婦にもらった「安全祈願」のお守りを持ち、
準備万全で当日を迎えました!

だがしかし。

私のせいではないんだけど。
ないんだけど。。
ないんだけど。。。


全5編(予定)北部州旅行ものがたりお楽しみください。

2010年11月5日金曜日

○みこ。

村に行くたびに何かしら、面白いことが起きます。

目的の村に行く途中に2村あるのですが、
そこの村で油を売るのが、楽しみです。

「いやいやどーも、私が日本から来ましたフミコと申します。
 PaViDIA知ってますか~?
 私その活動でチリヤエーカ村に行くんですよー。
 もし興味があれば…。」

と言いふらしながら行っています。


英語通じない子供たちにも
「私の名前はフミコです。」
と私が知ってる数少ない現地語を用いながら自己主張しています。


その成果か、バイクで走ってるとどこからともなく現れる子供たちに
声をかけられるようになりました。

「~ミコ!~ミコ!」

…んッ??

「キミコ!キミコ!」

いや、それは私の友達の名前じゃないか。

違うよ、フミコだよ。

「クミコ?…キミコ!キミコ!」


ザンビア人「ふ」は言いにくいみたいです。


「キミコーーーー!!!!」

と叫びながらバイクの後ろを追いかけてくる子供の集団は圧巻です。


「キミコー」と言いながらどこからともなく現れる子供たち。

バイクから降りてカメラを向けたら、

こんなに集まりました。



チャンダムワンバ村のみなさん、
いつも有名人気分を味あわせてくれてありがとう。

2010年11月3日水曜日

先輩隊員。

協力隊は3カ月ごとに入れ替わっていきます。
9月にまた20年度2次隊の方が日本に帰り、22年度2次隊がザンビアにやってきました。

そうです。

また1つ先輩隊員になりました。

ま、先輩とは言うものの、ただ先に来ただけの話なんですが。


そんな私のもとに「先輩隊員訪問」受け入れの申し入れがきました。

ザンビアに来てから最初の1か月は現地訓練が行われ、
その中に「先輩隊員訪問」というプログラムがあります。

そういうわけで、今回2人の農業系隊員が私の任地にやってくることになりました。




先輩隊員訪問…

先輩隊員…


なんでしょーか。

「オマエもう6か月もザンビアにいるんだから、しっかりしろ!」
と言われてる気分になりました。

はい、しっかりします。


配属先紹介して、村行って、カサマの町を見学して…
満足していただけたようなので良かったです。

実際に自分たちのしてることを紹介しなければいけない機会は
これが初めてじゃないのですが、
毎回「もっと頑張らねば…」と思うのです。

自分ではやってるつもりでも、実際人に見せるとき
案外見せるものがないことに気づかされます。
そんで、
「…で?他は?」
って思われてるような気になっちゃうのです。

ま、訪問者を満足させるために活動してる訳じゃないんだけど。



「大変だろうけど、頑張ってください。」
と激励されました。


うん、頑張る!

2010年11月2日火曜日

BIGな女。

どーやら太り始めました。

理由は…わかるようなわからないような。


今日あるオフィサーに、

  You are growing BIG, BIG, BIG!!! hahaha~!
  What are you eating?

って。
ヒドイ(;А;)

3回も言わなくてもいいのに…。

ザンビアでは太るのは別に悪いことではないらしく、
平気でおじさん方に太った太ったと面と向かって言われます。

でも指摘してくれる人がいることはいいこと…です。


自分の生活環境改善プロジェクトを始めたいと思います。


私には珍しい連日更新。
実は書き溜めてます。

ではまた明日。

2010年11月1日月曜日

第1回PGM


もう11月ですね…。
でも話題は10月です。まだ10月です。

10月6日に第1回PaViDIA General Meetingを配属先で開催しました。

略してPGM。


PaViDIAというのは、私が関わっているプロジェクト名。
孤立した村落を収入向上活動や生活改善活動を通して支援していこうという
参加型プロジェクトです。

配属先に赴任して3カ月経過した頃。

配属先の中でのこのプロジェクトに対する意識が低いことが悩みでした。
そして、ボランティアに対し、「勝手に来てなんかやってる」ぐらいの認識しか
ないんじゃないか…という不安がありました。
(私を呼んだ人は、もはや今の配属先には残っていない。)

ひとりで活動することは意外と簡単にできるよーな気がします。
なぜなら、今のところ対象地域があって、村人が協力的で普及員が無関心だからです。

でもやっぱそれじゃいけないなぁ…と思いながら3カ月過ごし、
ボランティア2人態勢になったので、同僚Yちんに提案して、
ミーティングを開催することにしました。

Yちゃんと一緒に1か月かけて準備を進め、
途中何度も放り投げ、軌道修正し、結局最後で焦るという
論文を書いている過程のような作業を繰り返し、当日に至りました。

同じプロジェクト配属で違う郡事務所で働いてる
同期ボランティアも招いて、
ザンビア各地で行われてるプロジェクトであることをアピールする作戦。
(遠いところわざわざ来てくれてありがとう。)


大まかな内容はこんな感じ。
1.とりあえずプロジェクト概要説明
2.普及員によるカサマ郡のプロジェクト状況説明
3.カフエ郡のプロジェクト紹介
4.なぜボランティアが派遣されてきたか説明
5.これからの活動計画


さぁ、いざ開始!



あれ、9時からだけど人が集まらない。


1時間後…。



こんなもんです。


結果は、これまた惨敗。
「ばかやろーーーー!」って椅子を投げたくなりました。

ザンビアのためと謳ってるプロジェクトも当の本人たちにとっては、関係ない代物。
ODAも知らないことが判明。
税金使ってせっせと働いてるJICAは一体何をやってるっていうんでしょーか。
(せっせかどうかは置いといて)

日本人でもODA知らない人は多いと思うけれど、
何となく彼らには知ってて欲しかったなぁっていう気持ちです。


けれど、これで挫けててはあかんので、
これからも続けていきたいと思います…


と言ってるそばからため息。はぁ。

何か私のブログってグチっぽい?笑